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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)9656号 判決 1977年3月31日

原告

倉畑理一

被告

株式会社丸正長田屋

主文

一  被告は原告に対し八二六万五二五一円およびこれに対する昭和四九年一一月二三日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その三を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決第一項は、かりに執行することができる。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

一  原告

(一)  被告は原告に対し二二五七万円およびこれに対する昭和四九年一一月二三日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

(三)  仮執行の宣言

二  被告

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

(一)  日時 昭和四七年一一月一五日午後二時頃

(二)  場所 東京都練馬区東大泉町九三二番地先路上

(三)  加害車 大型貨物自動車(練一な九五八四号、以下、加害車という。)

右運転者 訴外 大胡田敏秀

(四)  態様 原告が前記場所に停車中の乗用車に乗ろうとして同車の右後部ドアを開いていたとき、同所に進行してきた加害車が右ドアと接触して右ドアと加害車との間で原告の右手指を挾圧し受傷したもの。

二  責任原因

被告は加害車を所有し、かつ、業務用に使用して自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基く責任がある。

三  損害

(一)  原告は本件事故のために右拇指切断、右第二指開放骨折、右手掌挫創の傷害を受け、事故当日から昭和四八年一月一六日まで六三日間国立王子病院等に入院し、さらに、その後同年七月一〇日まで通院(実治療日数四六日)して治療を受けた。右受傷の結果、原告は右手拇指を失つたばかりでなく、他の右手の四指もその用を廃するに至り、右後遺症は自賠法施行令別表後遺障害等級表の七級七号に該当する。

(二)  右受傷に伴う損害の数額は次のとおりである。

1 治療費 五七万四〇五〇円

2 入院雑費 一万八九〇〇円

前記入院期間中一日当り三〇〇円の雑費を要した。

3 後遺障害による逸失利益 二一六三万〇一三五円

原告は大正一二年四月二日生れで、本件事故当時訴外有限会社栄興建設に外務員として勤務し、一ケ月三二万七七七七円の固定給の支給を受けており、本件事故にあわなければ一三年を下らない期間就労可能であつたところ、本件事故による前記後遺障害のため労働能力の五六パーセントを喪失した。

そこで、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して原告の後遺障害による逸失利益の現価を計算すると二一六三万〇一三五円となる。

4 慰藉料 二〇五万円

5 弁護士費用 一一七万円

四  損害の填補

原告は自賠責保険から二五九万円を受領した。

五  結論

よつて、原告は被告に対し二二八五万三〇八五円の損害賠償請求権を有するところ、本訴においては右の内金として二二五七万円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四九年一一月二三日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因に対する被告の認否および抗弁

一  認否

(一)  請求原因第一項については、(四)の態様中の「右後部ドアを開いていたとき同所を進行してきた」とある点は争うが、その余は認める。

(二)  請求原因第二項は認める。

(三)  請求原因第三項(一)のうち、原告が本件事故のために受傷し入院したことは認めるが、受傷の部位程度、入通院日数、後遺症の内容程度は争う。同項(二)の1のうち、自賠責保険で填補ずみの二八万一六四五円の損害が発生したことは認めるが、その余は争う。同項(二)の2ないし5は争う。

(四)  請求原因第四項は認める。

二  抗弁

(一)  本件事故現場は幅員七メートルの狭い道路であるところ、原告は加害車が前方に停車中の自動車(以下、被害車という。)の右側を徐行しながら通過していた際、加害車との安全を確認することなく漫然加害車と被害車との間にはいつて同車の右後部ドアを開いて乗車しようとした重大な過失により、同車のドアと加害車左側面後方との間に右手指を挾まれて受傷したものであり、他方、加害車運転者の大胡田は、被害車の側方を通過するに当つて同車直後に至るまで同車から乗降する者が全くないこと、ならびに、同車との安全を十分確認し、徐行しながら同車の右側を相当程度通過したのち対向車線上に停止中の車両を避けるべく、自己の進路である左側車線にもどろうとして制動を施しつつわずかに左転地(加害車の前輪は右向きの状態からいまだ左に向きを変えていない。)した瞬間、加害車後部にシヨツクを感じて急停車し、その後本件事故の発生を知つたものである。

右のように大胡田は側方通過に当つて停止車両の相当手前からその直後に至るまで同車の後方および右側に人影は全くなく同車から乗降する者もないこと、ならびに、同車に対する安全をも十分確認し同車との車間距離を相当程度とつて側方を通過していたのであるから、側方通過を開始した後自車と停止車両との間にはいり安全を確認しないで停止車両に乗車しようとする者があることまで予想して運転をすべき注意義務はなく、したがつて、本件事故の発生について大胡田に過失はなく、加害車には構造上の欠陥も機能上の障害もなく、さらに、被告が加害者の運行に関し注意を怠つたこともないから、被告は自賠法三条但書によつて免責されるべきである。

(二)  かりに、右主張に理由がないとしても、本件事故発生については原告にも前記のような過失があるから、大幅な過失相殺がなされるべきである。

第四抗弁に対する原告の認否

一  抗弁(一)のうち、大胡田の無過失は否認し、加害車に構造上の欠陥または機能上の障害がなかつたことは不知、その余は争う。

本件事故現場は幅員が路側帯を含めても七メートルしかない道路で二車線に区分されており、しかも交通がふくそうするため追越が禁止されているのであるから、側方通過の場合でも対向車線の交通状況に注意して対向車がなく安全に通過できることを確認したうえで進行するはもちろん、停車車両の動向を注意し同車との間に安全な間隔を保持しつつ進行すべきであるにもかかわらず、大胡田は漫然対向車線にまたがつて進行し、対向のタクシーが自車の前方で停止するや、これに気を奪われて左方の安全を確認することなく急にハンドルを左に切つて加害車の車体を被害車の開いたドアに接触させたものであり、しかも、大胡田は本件事故当時その受有する運転免許には排気量二〇〇〇CC以下の小型車に限定する旨の条件が付されていたのに右条件に違反して排気量四三〇〇CCの大型貨物自動車である加害車である加害車を運転していたものである。

(二) 同(二)は争う。

第五証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

昭和四七年一一月一五日午後二時頃、東京都練馬区東大泉町九三二番地先路上において、原告が同所に停車中の被害車に乗車しようとして同車の右後部ドアを開いたとき、右ドアが同所を進行中の加害車と接触し、右ドアと加害車との間で原告の右手指が挾圧されたため原告が受傷したことは当事者間に争いがない。

二  責任原因

請求原因第二項は当事者間に争いがない。

三  免責の抗弁に対する判断

成立に争いのない乙第一号証の一、第一号証の二、第六号証、証人成田幸次、同田中良純、同大胡田敏秀、同吉沢貞利の各証言および原告本人尋問の結果を総合すると、

(一)  本件事故現場は両側に商店等が建ち並んだ市街地内を東西に通ずるアスフアルト舗装の直線道路上で、右道路は総幅員七メートル、中央にセンターラインが引かれ両側には路側帯(北側の路側帯の幅は一・三メートルである)が白線で区画されており、交通規制としては車両の最高速度が三〇キロメートルに制限されているほか追越および駐車が禁止されていること、本件事故現場である有限会社営興建設前は同会社の建物が道路から約一メートルさがつて建てられており、右栄興建設の向い側の西寄りには中華料理店、東寄りにはそば屋があり、また、事故当時は降雨中であつたこと。

(二)  大胡田は加害車を運転し時速三〇キロメートル位の速度で右道路を東進してきて本件事故現場の手前約三〇メートル附近にさしかかつた際、前方の北側路側帯上に路側帯から車体の一部をはみ出した状態で被害車が停止しているのを認めたので、同車の側方を通過するためハンドルを右に切つてセンターラインをまたいだ状態でやや速度を落して進行し、前記菓子店の西端附近まできたとき被害車の後部に人影を認めたが格別気にとめることもなくそのまま進行して被害車の右後方数メートル附近まで接近したとき対向車線を西進してきたタクシーが前方約七、八メートルの前記そば屋の東端附近に停止したので、左にハンドルを切つて右タクシーと被害車の間を通り抜けようとしたところ、自車にシヨツクを感じたので停止し、本件事故の発生を知つたこと。

(三)  原告は勤務先の前記栄興建設の願客と一緒に被害車で銀行に行くため同社前に停止中の被害車に乗車しようとした際、運転手と顧客はすでに乗車し、顧客が被害車の後部座席左側に座つていたので、右側後部ドアから乗車しようとして被害車の後をまわつて被害車の右側に出る途中前記菓子店の西端附近を加害車が進行してくるのに気づいたが、同車は右寄りにセンターラインをまたいで進行していたので被害車のドアをあけても接触するようなことはないと考え、被害車の後部ドアをあけて同ドアの取つ手から手を離して乗車しようとしたところ、加害車が接近してきて加害車の荷台のフツクが右の開いたドアに喰い込み、その間に原告の右手指が挾まれたこと。

(四)  加害車は排気量約四五〇〇CC、車長約七・四メートル、車幅約二・一メートル、積載量四トンの貨物自動車であり、事故後、荷台左側の中央より前寄りのフツクのところが凹損しており、他方被害車は日産セドリツク普通乗用自動車で右側後部ドアの取手附近の後端が前方に押しつぶされたように曲つていたこと。

(五)  大胡田の運転免許には総排気量二〇〇〇CC以下の車両に限定する旨の条件が附されていたこと。

以上の事実が認められる。

なお、被告は被害車と加害車が接触したとき加害車は被害車と平行よりも右向きの状態であつたと主張し、証人大胡田敏秀の証言中には右主張にそう供述があるが前認定のとおり加害車は被害車の後方二、三〇メートルの地点で既にセンターラインをこえていたのであるから、被害車の側方に達したときは被害車と平行になつていたと考えるのが自然であり、しかも、加害車が被害車の後方数メートルの地点を進行していたときには既に対向車線にタクシーが進行してきて被害車の右前方数メートルの地点に停止していたのであるから(同証人はタクシーの停止位置は右地点よりも一〇メートル程東寄りであつた旨供述しているが、前掲他の証拠と対比して措信し難い。)、加害車が接触時なお右向きの状態であつたとすれば、前認定の道路幅員、加害車の車幅、被害車である日産セドリツクおよびこれとほぼ同じ大きさの中型車であると推認されるタクシーの車幅は一・七メートル程度であるから(この点は顕著な事実である。)、加害車は右タクシーと衝突を免れないような方向に進んでいたことになり、大胡田が右タクシーの存在に気づいていない場合はともかく、右タクシーに気づきながら右のような進路をとつていたものとは倒底考えられないので、被告の主張にそう前記大胡田の供述は措信し難く、また、乙第二号証および同第五号証の二の中にも右被告の主張にそう実験結果の撮影ないし意見の記載があるが、これはいずれも右大胡田の供述を前提としたものであり、また、衝突のシヨツクによる被害車の移動を考慮しないで推論した部分もあるのでいまだ前認定を覆すにはたらず、その他前掲証拠および証人浦野武弘の証言中前認定に反する部分は措信し難く、他に前認定に反する証拠はない。

以上認定の事実によると、大胡田には停車中の被害車の側方を通過するに際して対向車線の交通状況を十分注意しないままセンターラインをこえて進行したうえ、対向車線を進行してきたタクシーが加害車の進行してくるのをみて停止すると被害車との安全を確めないまま右タクシーと被害車の間を通り抜けようとして左方に進路を変更した過失があること明らかであり、さらに、大胡田は事故当時免許条件に違反した大型の車両を運転していたことが認められ、この違反も本件事故と因果関係がなかつたとは断定することができない。

そうだとすると、その余の免責要件について判断するまでもなく被告の抗弁は理由がない。

四  損害

(一)  成立に争いのない甲第二ないし一七号証、原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すると、原告は本件事故のため右拇指切断、右第二指開放骨折、右手掌挫創の傷害を受け、昭和四七年一一月一五日から同月二四日まで一〇日間川満外科に入院、同外科退院後同月二七日までの間に二日間同外科に通院し、次いで同月二八日から昭和四八年一月一六日まで五〇日間国立王子病院に入院した後、同月一七日から同年七月一〇日までの間に四六日間同病院に通院して治療を受けたが、右拇指を失つたほか、右示指は二関節が強直し、その他の右手指にも著しい運動障害があつて右手はほとんど使えなくなり、字を書くにも日常生活にも多くの不自由を感じていること、および、右後遺障害については自賠責保険で自賠法施行令別表後遺障害等級表七級に該当する旨査定されていることが認められる。

(二)  右受傷に伴う損害の数額は次のとおりである。

1  治療費 五七万四〇五〇円

前記治療の費用として自賠責保険から二八万一六四五円の支払をしていることは当事者間に争いがなく、さらに、前顕甲第五ないし一七号証によれば原告は右のほかに二九万二四〇五円の治療費を支払つていることが認められる。

2  入院雑費 一万八〇〇〇円

前認定の原告の受傷内容、治療経過からすると、原告は前示六〇日間の入院期間中に一日当り三〇〇円を下らない雑費を要したものと推認される。

3  後遺障害による逸失利益 一〇〇四万四〇二四円

証人鈴木好信の証言によつて成立を認め得る甲第二〇号証、官署作成部分の成立は争いがなく、その余の部分については弁論の全趣旨によつて成立を認め得る甲第一九号証の一、二、同証言および原告本人尋問の結果を総合すると、原告は大正一二年四月二日生れで、日本大学専門部を卒業後外務省次いで東京都に勤務していたが、昭和三八、九年頃東京都を退職して不動産会社に勤務するようになり、二、三の不動産会社を経て昭和四七年七月から前記有限会社栄興建設に営業部長として入社し不動産の仲介業務に従事して月額三二万七七七七円の固定給の支給を受けるほか歩合給の支給も受けていたこと、右栄興建設は本件事故当時は社員一四、五人を擁し営業成績も良かつたが、その後は不動産業界の不況で営業成績も落ち、昭和五一年現在の売上高は昭和四七年当時の三分の一で従業員も四人に減少していること、および、原告は本件事故後である昭和四八年四月頃右栄興建設を退職しており、その後不動産会社を設立して同社の代表取締役になつて右会社の運営および不動産の仲介等の業務に従事していることが認められる。

そして、前認定の原告の後遺障害の内容および程度に右認定事実、殊に原告が従事している不動産の仲介業務には契約書の作成等の事務労働も含まれるが、顧客との交渉等の営業活動がかなりな部分を占めていると考えられる点を併せ考えると、原告は前示後遺障害により労働能力の三五パーセントを喪失したものと認めるのが相当であるところ、不動産業界は前認定のとおり変動が激しく、事故当時の原告の収入を長期にわたる逸失利益の算定の基礎とするのは相当でないので、労働省発表の賃金センサスによる高専、短大卒男子労働者の平均賃金(事故後二年間については昭和四八年度および四九年度の賃金センサスにより、それ以降の分については昭和五〇年度の賃金センサスによる。)を基礎とし、稼動期間を六七歳まで一八年間とし、既往の分についてはホフマン式計算法により、将来分についてはライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して原告の後遺障害による逸失利益の現価を計算すると別紙計算書のとおり一〇〇四万四〇二四円となる。

4  慰藉料 三八〇万円

前認定の原告の受傷内容、治療経過、後遺障害の内容および程度、その他本件に顕れた諸般の事情(原告の過失の点を除く。)を考慮すると、本件事故によつて原告が受けた精神的苦痛を慰藉するためには三八〇万円をもつて相当と認める。

五  過失相殺

前認定の事故状況によれば、本件事故発生については、原告にも、被害車の側方を通過しようとしている加害車に気づきながら同車の進路側である被害車の右側ドアをあけて乗車しようとした過失があると認められるところ、前認定の大胡田の過失内容、道路状況等を考慮すると、前認定の損害額から三割の過失相殺をするのが相当である。

六  損害の填補

原告が本件事故に関して自賠責保険から二五九万円を受領していることは当事者間に争いがない。

七  弁護士費用 七五万円

弁論の全趣旨によると、原告は被告が前示損害を任意に賠償しなかつたので、原告訴訟代理人に本訴の提起と追行を委任して相当額の費用および報酬を支払い、もしくは、支払いを約しているものと認められるところ、本件事案の内容、審理の経過および認容額に鑑みると原告が被告に対して本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は七五万円と認めるのが相当である。

八  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は被告に対して八二六万五二五一円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかである昭和四九年一一月二三日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 笠井昇)

計算書(円未満切捨)

(128,000円×12+526,000円)×0.35×0.9523=687,274円…<1>

(159,200円×12+645,700円)×0.35×0.9090=813,223円…<2>

(184,400円×12+817,400円)×0.35×(3.5643-1.8614)=1,806,044円……………………………………………………<3>

(184,400円×12+817,400円)×0.35×(9.8986-3.5459)=6,737,483円……………………………………………………<4>

<1>+<2>+<3>+<4>=10,044,024円

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